くつろぎの生理


運動系 と心身の不調



 わたしたちの身体は、就寝中、たびたび寝返りをうちます。疾病や身 体の不調のある時は寝返りの度合いはいっそう激しくなります。
 このことは、運動系が、体内に生ずるかすかな徴候を読み取り、睡眠 中も積極的に活動していることを示しています。
 また頭が痛い時、わたしたちは、手で頭を抱え眉間にしわを寄せて、 頭部や顔面の表情筋をこわばらせます。
 筋肉を緊張させて痛みにたえようとしているのです。
 お腹が苦しい時も同様に、痛い部位を圧迫し腹筋を堅くして、腹部の 運動をできるだけおさえようとします。
 こうした運動系の役割は、筋力とか柔軟性とか持久力といった視点で は、とらえきれない性格を持っています。
くつろぎの動作は、昼間の運動系と夜間の運動系の中間。自律神経系を和らげて、負荷の少ない持久的な日常動作をもたらします。

運動系 の統合的な理解を目指して



 運動系は従来、身体運動の側面から着目されることがほとんどでした。 それは意識の中心である大脳との関わりから運動系を捉えることでした。
 筋力・持久力・瞬発力などに代表される運動系のポテンシャル、体操 や舞踊、美術などの分野で着目されてきた運動系の形態美・躍動美などはその代表的 なものです。
 整形外科学などで注目されてきた運動器の故障、たとえば麻痺や骨折、 筋力の低下などは、こういった意識的な運動の不調和という側面から捉えられてきた のです。
 では、故障さえなければ、わたしたちの運動系は、たえず理想的な能 力や美しさをもって活動できるのでしょうか?
 決してそうではありません。
 わたしたちの日常生活を支えているのは、効用と負荷のバランスのと れた持続可能な運動です。
 休息して手足をぶらんぶらんさせることも、エネルギー補給のために 食事をとることも、睡眠をとって脳を休息させることも、すべてが運動系の活動と結 びついた恒常性維持の大切な活動なのです。
 ときには食物の消化・吸収をしながら活動しなければならないことも あるでしょう。風邪で呼吸が苦しくとも、寝てばかりいられない時もあるでしょう。
 そのような時、わたしたちの身体は、運動のもたらす効用と負荷のバ ランスをとりながら、決して理想的ではないながらも、運動系の能力を巧みにあやつっ ています。
 身体運動が生命活動の一環としておこなわれている以上、これは当然 のことでしょう。
 くつろぎの運動学は、より包括的な視点にたって、人類と運動系、運 動系と心身のあり方を見つめなおそうとしているのです。

自律神 経系の役割



 生命は、たえず外部の環境の変化に対応しながら自己を維持していま す。
 高温・多湿・外気圧などの、環境の変化に対して、わたしたちの身体 は体内環境をたえず一定に保とうとする活動をおこなっています。
 体内環境維持の活動には、間脳の視床下部を中枢とする自律神経なら びに内分泌系が重要な役割を担っています。
 このような働きを生理学ではホメオスタシー(恒常性)と呼んでいま す。
 身体の恒常性は、血圧・脈拍・体温・血液中の酸塩基(ph値)や電解 質のバランスなど、具体的にとらえることができます。
 わたしたちが一定の環境のもとで恒常性を維持し持続的に生命活動を 営んでゆけるようになることを適応といいます。
 逆に、外部環境の変化に対して体内環境の恒常性が維持できなくなっ た時、わたしたちは疾病になり死に至ります。

内的平 衡とストレス



 わたしたちの身体は、延髄や間脳で血液中の酸素の濃度や体温、血糖 や電解質のバランスなど、体内環境の変化をたえずモニターしています。
 体内環境に変化がおこると、意識を介することなく、自律神経系の作 用で全身の内臓諸器官の活動が調整されます。
 体内環境を維持するために起こる適応の活動を、生理学ではストレス 反応(汎適応症候群)と呼んでいます。
 ストレス反応は、たえず次のような三つの段階を踏んで発揮されるこ とが明らかにされています。
 自律神経系の反射による警戒警告期(主に交感神経系を主体とする)、 内分泌器官の反射による抵抗期(脳下垂体−副腎皮質系を主体とする)、かりに適応 に失敗した場合に生ずる疲憊期(副腎皮質の萎縮などを伴う)です。

運動系 の発達と適応



 身体の恒常性を維持するためには、たんに体内環境ばかりでなく、エ ネルギーの摂取や酸素や水分の取込みなど、外部環境との積極的な関わりが欠かせま せん。
 わたくしたち哺乳動物が、進化の過程ですぐれた運動系の能力を獲得 してきたのも、巧みに水や食物・酸素を取り込み、外部環境に対するより高い適応能 力を得んがためであったといって過言はないでしょう。
 運動系は、獲物を捉まえたり、寒いところから移動したり、わたした ちの恒常性の維持に重要な役割を果たしています。
 その一方、身体運動は、体温の上昇や血液中の酸素分圧の低下、血液 の酸化や電解質バランスの乱れ、エネルギー消費の増大など、直接的には体内環境の 恒常性を大きく乱す側面も持っています。
 身体運動に伴う疲労感や痛み、能率の低下は、身体運動の負の側面に 対する身体内部からの警鐘と見ることができます。

人類の 進化と運動系



 長い進化の過程を考えると、わたしたち人類の運動系の特徴が、直立 歩行に必要な姿勢制御の機構(例えば脊椎骨間の単関節筋の発達)、大脳に統御され た器用な手指の運動、高度に発達した発語機能などにあることは疑う余地はありませ ん。
 しかし痛みやエネルギーの消耗から身体を守ろうとする原始的な運動 が失われてしまったかというと決してそうではありません。
 わたしたちの生命活動は、酸塩基の平衡、電解質の平衡、体温の維持 など、体内環境の恒常性が崩れると簡単に破たんしてしまうもろい側面を持っていま す
 社会化されいっそう複雑化する人類にあっては、発達した大脳の力や 運動能力を駆使するためい、よりハイレベルな恒常性維持のバランスが要求されてい るともいえるでしょう。
 「くつろぎの運動」は、身体運動に伴う負荷の増大を恒常性維持の観 点から修正し、エネルギーの消耗や身体運動のストレスを軽減する、運動系に備わっ た自己調節機能なのです。
くつろぎの運動とは? 物理的なエネルギー効率の観点からはむだの多い身体運動の歪みも、内的条件の見地から見ると、ストレスを軽減する合理的な歪みであることが多い。

現代社 会とストレス



 現代人は、発達した大脳に基づいて、高度に社会化された生活を営ん でいます。
 過酷な外部環境や死の恐怖から遠ざけられた反面、単純化された身体 運動、生理的な欲求への過度の抑制、過食や摂食など豊かさの負の側面が意識される ことが多くなってきました。
 とくに、わたしたちの大脳は、環境条件を学習し、多種多様な条件反 射で自律神経・内分泌系の働きをコントロールする性質を持っています。
 その結果、しばしば精神的な原因からストレス反応を引き起こし、免 疫の過剰や低下、消化性潰瘍やさまざまな心身症に悩まされるという、難しい側面を 持っています。
 今日、ストレスといえば精神的ストレスを指すといっても過言ではな いくらい、豊かさのなかで自律神経や内分泌系に負担をかけながら生活しているのが 現状です。
 このような時代背景のなかで、交感神経系の緊張をやわらげ、ストレ スを軽減しようとする「くつろぎの運動」の意義は、いっそう重要になっています。
 ストレスの多い外部環境との関わりのなかで、内的平衡を維持し健康 で安らかな心身の状態を実現するために、大いに着目すべき運動系の役割だといえる のです。


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