亀井先生とその時代〜回顧展〜その1
はじめに
今年は、1951年の身体均整協会の設立から60年、また亀井進先生の生誕100年の記念すべき年です。
学術部では、現在、手元に残されている当時の資料をつうじて、身体均整法が確立された当時の社会的な背景、そこにかけられた努力や思いを紹介し、亀井先生の人とその業績を振り返る回顧展をこのホームページ上でおこないたいと思います。
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療術法制化運動と亀井先生
これは、1954年の『全国療術新聞』87号(19541.11)に掲載された「療術法制化全療協西日本大会」の記事です。亀井先生は愛媛県代表として参加し、司会を務めている様子が紹介されています(記事の赤い四角で囲んだ写真が亀井先生)。
同じ紙面に、亀井先生の名前で、全国の療術支部に対して、「激!滞納組合費を速納せよ」との文章が寄せられています。
いずれも亀井先生が療術法制化運動に深く関わっていたことを示す記事です。
手元にある1954年1月(80号)から1965年12月(244号)まで『全国療術新聞』(月一回発行)を読んでみると、亀井先生の記事が50回以上見つかります。
このなかには、現代のわたしたちが目にすることのできる文章も含まれています。
たとえば現在出版されている『類別克服法』(1956 身体均整協会)は、その多くが『全国療術新聞』に記事として掲載されたものです。
意外に思われるかもしれませんが、『類別克服法』は、かぎられた会員のためにあらわされた書物ではなく、全国の療術師<民間療法家)にむかって発信されたものだったのです。
このような本の成立ちを抜きにしては、意味が分からなくなってしまう表現が、『類別克服法』のなかには随所に見られます。たとえば、以下に紹介した「まえがき」(※現行の『類別克服法』の巻頭に収めれています)は、そのような言葉のひとつです。
『類別克服法』の「まえがき」
本書は種類別に脊髄神経反射を主体にして組成した身体の操縦法であるが、本書程度のものは世に出ておらねばならないはずのものである。しかるに前口上や有閑語で満ちている著書のみで残念に思い、その任ではないが、やんごとなく基礎をかためてみた。本書は地盤工事であり、土台工事である。どうかこの上に著者の気づかなかった材料を発見し、より完全な建設をする人の出てくることを待望する。本書の転載利用は著者の許可を要せづ自由である。
この当時、『全国療術新聞』には、多くの本の紹介や広告が掲載されています。これらの記事や広告には、きまって「全国を風靡(ふうび)する」とか、「治療と保健にますます好評」、「科学的の高級治療」、「療術界の勝者」などの枕言葉がならんでいました。
そのようなことをふまえてみると、『類別克服法』の「まえがき」の言葉はまるで違った意味を持ってきます。たとえば、「本書程度のものは世に出ておらねばならないはずのものである」、「前口上や有閑語で満ちている著書のみで残念に思い」といった表現に、かなり挑戦的なニュアンスがこめられていることがわかります。
とくに大切だと思われるのは、「本書は地盤工事であり、土台工事である」と述べているくだりです。「より完全な建設をする人の出てくることを待望する」、広く全国にむけて発信されたこの言葉には、療術運動の革新をもとめる強烈なアッピールがこめられていたのです。
のちのち身体均整法へと結実してゆく「療術(民間療法)」に対する亀井先生の考え方、批判精神といったものが強く反映された言葉でもあるのです。
今後の回顧展の展開について
この回顧展では、残された資料に直接目を通していただきながら、当時の時代の空気のなかで、亀井先生の業績と思いをより身近に感じられるよう工夫した展示をおこないたいと思います。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉があります。亀井先生の歩まれた時代は、すでに遠い忘却のかなたにあります。それゆえにこそ、現代のわたしたちの闇を照らす深い輝きを宿しているようにも思われるのです。
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(注)上に紹介紹介した初版『類別克服法』の「発刊の辞」には、『多くの人のために金銭の必要を生じたので〜本書を世に出すことにした。〜どうかもうけさせてもらいたい。」と率直に述べられています。まさしく療術法制化運動の渦中の人としての亀井先生の姿が浮かび上がってきます。