第117回全国講習会が開催されました
矢作智崇(理事)
さる5月23日、24日、身体均整師会第117回全国講習会が五反田ゆうぽうとにて開催されました。今年は、亀井進師範生誕100年、そして身体均整師会創立60周年の記念の年であり、冒頭で記念式典が開催されました。講習会の様子とあわせてご紹介いたします。
※画像はクリックすると拡大表示されます。会員のみなさまは、hpやブログなどでご活用ください。
【記念式典】
式典は、村松陽一会長の発声で、東日本大震災の犠牲者への黙祷から始まりました。
続いて村松会長から、常に「世のため、人のために」と仰っていた亀井師範の言葉をひいて、今回、会員に配る予定になっていた記念品の費用を、全額寄付金として被災地に送りたい旨がはかられました。
会場からは拍手で賛同が寄せられました。
「60年は、人間でいえば還暦にあたる年月です。還暦は十干十二支が一巡りする再出発の意味であり、今日、私たちはそのことを胸に、あらためて前へ進んでいかなければならないと思います」(村松会長挨拶より抜粋)。
学術顧問、名誉会員であられる東京女子体育大学名誉教授、手嶋昇先生からは、入会当時の均整師会の講習会の様子や広く身体均整法が世に知られるきっかけとなった著書『身体均整法(通称赤本)』(不昧堂、初版1977)の出版の経緯を紹介いただきました。
「名人といわれる、そうそうたる会員がたくさん出席された講習会では、出席者がみんなきらきら光っていて、亀井師範の仰る言葉を一字一句逃さない気運が充ち満ちていました。」(手嶋先生)
そして、初めて出席された講習会の冒頭、亀井師範が仰られた次のような言葉をご紹介くださいました。
「均整がここまで来た。みなさんがこういう勉強をしていく場合は、やっぱりみんなが仲良くみんなが和をもってやっていかなければいかなければ、この会は将来よくならないよ。みんな仲良くやろう。」(亀井先生)
続いて、名誉会員である鏡八重子先生のお話がありました。
「会歌の歌詞に 『人格、学技に誇りを持て』とありますが、これは亀井師範そのものなんです。世の中に不健康で困っている人がいる、そういう人を助けて世に貢献しようという思いが会歌に込められています。会歌の内容をじっくりと実践するような立派な均整師になってください。」(鏡先生)
「亀井師範は「和」を大事にされていました」(同)
「世のため、人のため、というのはお金のため、俺のためではありません。それだけは絶対忘れないでください。それでは人の身体を治せません」(同)
続いて、亀井師範の膨大な講義テープを書き起こした貴重な資料、いわゆる「野村ノート」の編纂者である佐賀県の野村宣行先生、そして亀井師範と同郷の愛媛県の仙波スミ子先生から記念式典に寄せられたお手紙が紹介されました。
次に、学術部顧問の三浦宏明先生より、身体均整法(身体均整協会)の黎明期の様子を紹介いただきました。『身体均整法の誕生が意味するもの』と題して当時の資料をプロジェクターを使って表示され、参加者はスクリーンのまえに集まって観覧しました。当時の療術界における、亀井師範や身体均整法が果たした役割など、当時の著作物とともに知ることができました。
相談役の千葉工業大学名誉教授、野口盛雄先生からは、四国松山で設立された身体均整協会の東京進出、そして名称変更から端を発した最初の分裂、さらに「姿勢保健均整師会」の分裂とその後の身体均整法学園開校に至るまでの道のりをお話をいただきました。
この時期は、60年に及ぶ身体均整法の歴史のなかでとりわけ苦難の時代でした。野口先生のお話からは、このときの経験が、今日の会の組織や教育の体制の基礎となっていることがうかがわれました。この内容は別途会報で詳しくご紹介させていただきました。
鈴木節子副会長から、「姿勢保健均整師会」の分裂以降、平成14年の中間法人化、さらに今日の一般社団法人化にいたる現在までの歩みを紹介していただきました。
広島支部長の花樹善之進先生からは「均整と私」というテーマで、サラリーマン時代、目を悪くして失明の危機に立たされたご自分が療術によって救われ、今日この道に入ることになったいきさつをご紹介いただきました。
「(身体均整師のなかには)自分が病気をして均整によって治った、そういう方が多いと思います。当時、均整には様々な手技があり理論的ですばらしいと思い入会しました。今後も、皆さんに教えてもらいながら、さらに勉強していきたいと思います。」(花樹先生)
続いて、身体均整師養成講座講師の星野一彦先生から、小学生の時に初めて身体均整法に触れたときのお話をご紹介頂きました。
家族ぐるみでかかっていた身体均整師の先生に、小学生の水泳大会の前に「足の親指をぐるぐる回しなさい」と指導され、そのおかげて好成績をおさめエピソードをユーモアを交えてお話いただきました。
星野先生は、それ以来、ずっと「均整法」が身近にあり、なるべくしてこの道にはいったとのこと。関節操法にこだわって、現在、骨格操縦の講師をつとめるにいたったいきさつをお話されていたのが印象に残りました。
式典の最後は、監査役の西脇幸宏先生から、設立当時を知る諸先輩方との対話をつうじて明らかになった身体均整法創設の核心に触れるお話をしていただきました。
「身体均整法には宗教が強く根ざしています。人と人との融和や団結力、忠誠心などを亀井師範が大切にされたのもそういう思想からくるものかもしれません。」(西脇先生)
西脇先生は、「我々会員がそういった気持ちを大事にして身体均整法とともに歩んでいけたらうれしい。」とお話を結ばれました。
今回の式典にあたって、運営委員たちは、たんに過去を懐かしむのではなく、明日の身体均整師会を考え育てる企画にできないかと考えてきました。
式典をきっかけにして、多くの貴重な教えを引き出せたのではないかと思います。そして、あらためて亀井師範の目指した「和」の精神の大切さを噛み締めることができたように思います。
参加された多くの先生方も、さまざまなお話やエピソードに耳を傾けながら、身体均整師会の歴史を身近に感じ、明日を生きる糧をうることができたのではないでしょうか。
【講義】
全国講習会初日の午後から翌午前にかけて、深沢功先生の講義がありました。
今回は、前回の第116回全国講習会の分科会で発表された経絡と十二種体型を統一的にとらえる理論についての実践篇です。
腹部に配された12経絡の「募穴」と腰椎に配当された12種体型の基本椎骨で12種の体型(フォーム)決定をし、関連椎骨への触圧刺激で調整する方法を学びました。
2日目午後の茶話会では鏡八重子先生が臨床応用の講義をしてくださいました。
「基本通りにはいかない。身体をきちんと観て、三大関節を均整にするのがバランス。内界と外界が入り交じったものを見分けながらやらなければいけません。」(鏡先生)
「自分の勉強も大事ですが、お客さんがモデルなんです。みんな同じような事をしないで体質をみます。やわらかい体質か強い体質か、刺激は強い方が好きか、弱い方が好きか。本人に聞いて(その方の)感触を覚えてください。」(同)
「講習会で実技もあまりやらないでノートばっかりとってる人がいる。・・・あまり好きではないよ」
これは、記念式典で手嶋先生に紹介いただいた亀井師範の言葉です。
熱心に実習に取り組む参加者の姿にさっそく式典の効果が表れているように思われました。
(以下は実習の様子)
さる5月23日、24日、身体均整師会第117回全国講習会が五反田ゆうぽうとにて開催されました。今年は、亀井進師範生誕100年、そして身体均整師会創立60周年の記念の年であり、冒頭で記念式典が開催されました。講習会の様子とあわせてご紹介いたします。
※画像はクリックすると拡大表示されます。会員のみなさまは、hpやブログなどでご活用ください。
【記念式典】
式典は、村松陽一会長の発声で、東日本大震災の犠牲者への黙祷から始まりました。
続いて村松会長から、常に「世のため、人のために」と仰っていた亀井師範の言葉をひいて、今回、会員に配る予定になっていた記念品の費用を、全額寄付金として被災地に送りたい旨がはかられました。
会場からは拍手で賛同が寄せられました。
「60年は、人間でいえば還暦にあたる年月です。還暦は十干十二支が一巡りする再出発の意味であり、今日、私たちはそのことを胸に、あらためて前へ進んでいかなければならないと思います」(村松会長挨拶より抜粋)。
学術顧問、名誉会員であられる東京女子体育大学名誉教授、手嶋昇先生からは、入会当時の均整師会の講習会の様子や広く身体均整法が世に知られるきっかけとなった著書『身体均整法(通称赤本)』(不昧堂、初版1977)の出版の経緯を紹介いただきました。
「名人といわれる、そうそうたる会員がたくさん出席された講習会では、出席者がみんなきらきら光っていて、亀井師範の仰る言葉を一字一句逃さない気運が充ち満ちていました。」(手嶋先生)
そして、初めて出席された講習会の冒頭、亀井師範が仰られた次のような言葉をご紹介くださいました。
「均整がここまで来た。みなさんがこういう勉強をしていく場合は、やっぱりみんなが仲良くみんなが和をもってやっていかなければいかなければ、この会は将来よくならないよ。みんな仲良くやろう。」(亀井先生)
続いて、名誉会員である鏡八重子先生のお話がありました。
「会歌の歌詞に 『人格、学技に誇りを持て』とありますが、これは亀井師範そのものなんです。世の中に不健康で困っている人がいる、そういう人を助けて世に貢献しようという思いが会歌に込められています。会歌の内容をじっくりと実践するような立派な均整師になってください。」(鏡先生)
「亀井師範は「和」を大事にされていました」(同)
「世のため、人のため、というのはお金のため、俺のためではありません。それだけは絶対忘れないでください。それでは人の身体を治せません」(同)
続いて、亀井師範の膨大な講義テープを書き起こした貴重な資料、いわゆる「野村ノート」の編纂者である佐賀県の野村宣行先生、そして亀井師範と同郷の愛媛県の仙波スミ子先生から記念式典に寄せられたお手紙が紹介されました。
次に、学術部顧問の三浦宏明先生より、身体均整法(身体均整協会)の黎明期の様子を紹介いただきました。『身体均整法の誕生が意味するもの』と題して当時の資料をプロジェクターを使って表示され、参加者はスクリーンのまえに集まって観覧しました。当時の療術界における、亀井師範や身体均整法が果たした役割など、当時の著作物とともに知ることができました。
相談役の千葉工業大学名誉教授、野口盛雄先生からは、四国松山で設立された身体均整協会の東京進出、そして名称変更から端を発した最初の分裂、さらに「姿勢保健均整師会」の分裂とその後の身体均整法学園開校に至るまでの道のりをお話をいただきました。
この時期は、60年に及ぶ身体均整法の歴史のなかでとりわけ苦難の時代でした。野口先生のお話からは、このときの経験が、今日の会の組織や教育の体制の基礎となっていることがうかがわれました。この内容は別途会報で詳しくご紹介させていただきました。
鈴木節子副会長から、「姿勢保健均整師会」の分裂以降、平成14年の中間法人化、さらに今日の一般社団法人化にいたる現在までの歩みを紹介していただきました。
広島支部長の花樹善之進先生からは「均整と私」というテーマで、サラリーマン時代、目を悪くして失明の危機に立たされたご自分が療術によって救われ、今日この道に入ることになったいきさつをご紹介いただきました。
「(身体均整師のなかには)自分が病気をして均整によって治った、そういう方が多いと思います。当時、均整には様々な手技があり理論的ですばらしいと思い入会しました。今後も、皆さんに教えてもらいながら、さらに勉強していきたいと思います。」(花樹先生)
続いて、身体均整師養成講座講師の星野一彦先生から、小学生の時に初めて身体均整法に触れたときのお話をご紹介頂きました。
家族ぐるみでかかっていた身体均整師の先生に、小学生の水泳大会の前に「足の親指をぐるぐる回しなさい」と指導され、そのおかげて好成績をおさめエピソードをユーモアを交えてお話いただきました。
星野先生は、それ以来、ずっと「均整法」が身近にあり、なるべくしてこの道にはいったとのこと。関節操法にこだわって、現在、骨格操縦の講師をつとめるにいたったいきさつをお話されていたのが印象に残りました。
式典の最後は、監査役の西脇幸宏先生から、設立当時を知る諸先輩方との対話をつうじて明らかになった身体均整法創設の核心に触れるお話をしていただきました。
「身体均整法には宗教が強く根ざしています。人と人との融和や団結力、忠誠心などを亀井師範が大切にされたのもそういう思想からくるものかもしれません。」(西脇先生)
西脇先生は、「我々会員がそういった気持ちを大事にして身体均整法とともに歩んでいけたらうれしい。」とお話を結ばれました。
今回の式典にあたって、運営委員たちは、たんに過去を懐かしむのではなく、明日の身体均整師会を考え育てる企画にできないかと考えてきました。
式典をきっかけにして、多くの貴重な教えを引き出せたのではないかと思います。そして、あらためて亀井師範の目指した「和」の精神の大切さを噛み締めることができたように思います。
参加された多くの先生方も、さまざまなお話やエピソードに耳を傾けながら、身体均整師会の歴史を身近に感じ、明日を生きる糧をうることができたのではないでしょうか。
【講義】
全国講習会初日の午後から翌午前にかけて、深沢功先生の講義がありました。
今回は、前回の第116回全国講習会の分科会で発表された経絡と十二種体型を統一的にとらえる理論についての実践篇です。
腹部に配された12経絡の「募穴」と腰椎に配当された12種体型の基本椎骨で12種の体型(フォーム)決定をし、関連椎骨への触圧刺激で調整する方法を学びました。
2日目午後の茶話会では鏡八重子先生が臨床応用の講義をしてくださいました。
「基本通りにはいかない。身体をきちんと観て、三大関節を均整にするのがバランス。内界と外界が入り交じったものを見分けながらやらなければいけません。」(鏡先生)
「自分の勉強も大事ですが、お客さんがモデルなんです。みんな同じような事をしないで体質をみます。やわらかい体質か強い体質か、刺激は強い方が好きか、弱い方が好きか。本人に聞いて(その方の)感触を覚えてください。」(同)
「講習会で実技もあまりやらないでノートばっかりとってる人がいる。・・・あまり好きではないよ」
これは、記念式典で手嶋先生に紹介いただいた亀井師範の言葉です。
熱心に実習に取り組む参加者の姿にさっそく式典の効果が表れているように思われました。
(以下は実習の様子)