統合医療学会に身体均整法に関する論文を提出(その6)
「身体均整法の特徴と運動学的な意義について」(6)
characteristic and significance of kinsei、a view of kinematics
(2011年6月に日本統合医療学会に提出した論文「身体均整法の特徴と運動学的な意義について」の抜粋の6回目、最終の部分です。)
8.関節の運動機能についての理解
高井・宮野論文が触れているように、足関節ストラテジーと股関節ストラテジーはあらゆる場面で、たえず相互補完的な役割をはたしていることも見落としてはならない。
日常の生活空間では、障害物を除ける、角を曲がる、緩斜面を斜行する、凹凸のある地面を歩く、といった場面が多々見られる。
膝関節は前後方向にしか動かない自由度1の関節であり、このような荷重方向の擾乱に対応力をもたない。そこで重要なのが自由度の大きな足関節・股関節の役割である。
かりに足関節ストラテジーが十分に働かなければ、その影響は即座に股関節に跳ね返ってくる。
小野・琉子論文では、Woolacottらの研究(「Exercize effect on dynamic stability in olderwomen」)を引きながら、足関節可動域は1.拮抗の伸張性、2.関節包や腱靱帯などの結合組織の状態、で決定されるとしている。
一般的に、あらゆる関節の基盤は骨運動(関節のすべり運動)である。関節面は、軟骨性の組織に覆われ、関節包内は滑液に湿潤され、運動によって生ずる力に対する緩衝作用をもっている(博田節夫『AKA関節運動学的アプローチ』第2版 医歯薬出版 2007 p.1)。ここに、腱や靱帯の制御、深層筋、表層筋、血管や自律神経系の機能など、複数の要因が関わって実際の関節運動が支えられている。
あらゆる身体運動は、関節運動の積み重ねと統合によって成立っていることを理解し、股関節や足関節、足背部の関節運動の改善をはかることは、これまで紹介してきた「前後型」の調整だけでなく、「左右型」、「回旋型」など、あらゆる体型の調整において重要な意味を持つ。
関節機能を理解しておくことは、体型に基づいた運動系の施術を有意義なものにする上で不可欠はポイントである。その際、関節機能をそれぞれのカテゴリーに添って理解しておくことがこのましい。
忘れてはならないのが、関節の安定性(stability)、可動性(mobility)、強度(strength)の相互依存的な関係であろう。
生体の関節機能は、軽い素材によるもたらされる可動性(mobility)と脆弱性(strengthの低下)を、高度な情報処理によっておぎなうことによって成立っている。
つまり神経−筋の緊密な連係によって生み出される関節の安定性(stability)こそが、生体の運動能力の鍵を握っているのである。
骨運動・腱や靱帯・深層筋は、おもに関節の安定性(stability)を作り出すために作用する。身体運動の可動性(mobility)が増せば、関節にかかる力は増大し、関節により大きな強度が求められることになる。加齢にともなって、すばやい運動や強い衝撃をうける動作が難しくなるのは、関節の強度(strength)の低下と関わりがある。
若年者でも、風邪などの発熱によって自律神経機能が低下すると、関節の強度が大きく低下し、強い運動に困難を覚えることがあるが、関節の安定性(stability)には、自律神経機能が大きく関与しており、そのことが関節の強度(strength)の基盤となっていることを理解しておくべきであろう。
9.おわりに
高齢化は、19世紀の生産革命によってもたらされた人口増加と平均寿命の伸びのもたらした人類史的な課題である。
数千万年に及ぶ自然選択の集積のなかで培われてきた人類の運動能力は、急激な寿命の伸びというこれまで経験することのなかった課題に直面することになったといえよう。
高齢化にともなう長期にわたる運動器の使用は、たんなる運動能力の低下という側面だけでなく、体重の減少・生活スタイルの変化などとともに進行する運動機能の再統合を促していると理解すべきであろう。
その際、運動の制限や痛みの発生には、たえず個人史的な背景が関わっていることを忘れてはならない。
たとえば交通事故や航空機の着陸時の衝撃など、強い外力で関節面の軟骨組織が故障した場合、組織の損傷の回復は不可能であるとされている。
このような個人史的な問題のなかで、同時に加齢による運動機能が進行していることをたえず意識しておかねばならない。
かりに軟骨組織が損傷しているような関節痛であっても、周辺組織に働きかけて関節の安定性(stability)、関節の可動性(mobility)の改善をはかることによって、日常生活にほとんど支障を感じなくなる例も少なくない。
身体均整法のアプローチは、対象者個人個人に即して、姿勢保持能力や運動能力を評価し、全身体的(Holistic)に対処できるように技術構成がなされていることに大きな特徴がある。その基盤となっているのか「体型」のカテゴリーである。
今回、とくに高齢者に見られる「円背」のもたらす運動機能の問題について、身体均整法の「前後型」という独自のカテゴリーを題材に、運動学(Kinematics)やバイオメカニクス分野との関連性を考察した。
姿勢保持や運動機能の問題は、さまざまな痛みや生活困難、さらに内臓機能とも深く関連することが知られている。身体均整師の取り組みは、これらの問題に、1.個人(persomal)の現状に即した働きかけをおこない、2.手技による改善をはかると同時に、3.受け手の側に、姿勢保持や運動機能の再統合にむけた「主体的な取り組み」を促す意味を持っている。この点が、すこしでも表現できていれば幸いである。
なお、一般社団法人身体均整師会においては、関連分野のあたらしい研究成果をたえず取り入れながら、体型カテゴリーのいっそうの最適化をはかると同時に、たしかな見識と技術をそなえた身体均整師を育成してゆく努力が、今後いっそう求められることになるであろう。
(以上)
(※1)身体均整養成講座『身体均整法概論』教科書参照。
(※2)元PHW局長、サムス(当時大佐)の回想録『DDT革命』(竹前栄治 編訳 岩波書店 1988)256P.参照。
(※3)戦後、1948年に定められたあんま・鍼灸・柔道整復師法では、在来の民間療法を10年の経過措置をおいて禁止することが定められた。
(※4)厚生省の厚生省手技療術調査員だった東京医科大学教授(当時)藤井尚久教授(医学博士)が全国療術師会の会合でおこなった講演記録『手技療法の基本理論と調査研究の感想』(1951 全国療術師会 非売品)が発行されている。その中で、藤井は「手技療術師は、科学的な根拠によって人体に手技を施し、その生活現象を円滑ならしめ、調和あるものとし、健康を増進し、あわせて疾病を予防し、また一度失われた生活現象のために発生した苦痛を緩和し、もって個人の厚生・福祉に寄与し、ひいては社会の能率を向上し、一般公衆の福祉を増進せしむることを目標として、人類に奉仕せんとするものである。」「手技は、…受術者に身体外表より筋肉骨格などに手指ないし掌をもちいて適当な圧迫ならびに一定の操作を施して、一種の機械的刺激を与えて身体内部の反応を喚起せしめて、身体に本来的自然的な正しい形態と配置関係を保たしめ、整調された機能を、発揮せしむることを眼目とするものである。」「手技療法の主たる目的は、人体の外環境すなわち人体外表(たとえば皮膚)に一定の刺激をあたえて(いわゆる指圧、または用手操作、つまり整体を与えて、人体の内環境=脳、脊髄よりの神経系や内臓にいたる領域を主とする=に反応(反射作用を主とする)を及ぼし、生活現象を円滑ならしめようとするものである(これは人によって環境療術ともいう))としている。
(※5)民間療法の営業を禁止するという立法措置に対し、業界団体「日本療術師会」は療術の法制化をもとめる運動を展開し、多種多様な民間療法を「光線・刺激・温熱・電気・手技」の五分野に集約し、「療術」として一括した資格化、さらに教育制度の確立を訴えた。運動は、次第に「療術の科学化」の運動へと発展していった。
(※6)1949年10月、愛媛県療術師会の学術部長をつとめていた亀井進は、同県松山市において身体均整協会を設立した。1956月4月、亀井は第4回中四国療術学会(愛媛県道後温泉)においてスライド写真500枚を用いて身体均整法をはじめて一般に公開した。
(※7)この年は、「あん摩師、はり師、きゅう師及び柔道整復師法」の経過措置が終わり、療術行為が実際に禁止される年にあたっていた。身体均整法の内容を紹介する亀井の文章は、119号(1956.9)〜200号(1959.5)まで合計34回に渡っている。分量の多さから見て、療術師会内部のある程度組織的な運動を背景としていたものと推測される。ちなみは、亀井は1956年「療術会功労者」の一人として、前傾『日本療術学』の他の編集委員とともに表彰されている(『全国療術新聞』120号 1956.6.11 掲載)。
(※8たとえば正木健雄(東大教授・当時)「姿勢の研究」第一報(『体育学研究』第4巻2号 1960.7) 、同第二報(『体育学研究』第5巻2号 1961.3)、小島則夫(福岡学芸大学・当時)「体重配分測定による立位姿勢の研究」(『体育学研究』第6巻1号 1960.9)、平沢弥一郎(静岡大学工学部)「足蹠面積変化の生理学的意義について : 足蹠に落ちる重心の位置との関係について」(『体育学研究』第6巻1号 1960.9)などがある。
(※9藤田六郎『経絡現象』(医道の日本 1969)など。
(※10)1960年、日本精神身体医学会が設立され、翌1961年、九州大学に日本ではじめて心療内科が設置され、1963年には池見酉次郎『心療内科』中公新書が出版され、大きな反響を呼んだ。