亀井先生とその時代〜回顧展〜その3
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療術法制化運動と亀井先生
療術法制化運動は、亀井先生と療術との関わり、さらには身体均整法の創設のきっかけとなる重要な出来事でした。
これまで紹介してきたように、亀井先生は、広く一般の市井の人々が、自分たちの生活のために自ら役立てる技術という観点から療術を捉えなおそうと考えていました。
このような亀井先生の立場は、療術法制化運動のなかでどのような位置にあったのか、すこし詳しく見てみることにしましょう。
営業権確保から始まった法制化運動
療術法制化運動のきっかけは、1948年の『あんま鍼灸柔道整復士法』です。
この法律には、8年後に療術行為を全面禁止することが定められていました。
療術法制化運動の主眼は、この全面禁止の決定を解除し、再度、営業権を回復することにあったのです。
全国療術師協同組合(全療協)は、この際、全国に4000種とも言われる療術業種を、電気、温熱、光線、刺激、手技の5分野に整理して、これらを一括して資格として認めるよう求める運動を展開しました。これが療術法制化運動です。
しかし、そもそも営業権確保の要求と法制化の要求の間には、大きなギャップがあります。
資格を創設するためには、試験の実施や教育カリキュラムの制定、違反者の監視など、さまざまな業務を明確に法律で定められなければなりません。さらに、そのための予算を組んで国会の承認をえなければなりません。
実際の運動が、このような具体的な立法作業をしっかり想定して展開されていたかどうかは、すくなくとも『全療新聞』の紙面からはうかがうことができません。
さまざまな思惑の交錯した法制化運動
にもかかわらず多くの療術師の間に、「このときを逃して法制化はありえない」といった主張(上図参照)が広がっていきました。
その背景にあったのが、厚生省の実施した療術実態調査です。
前のページで紹介した京都大学生活科学研究所の調査以外にも、医療関係者の立会いの下で各地で療術の調査が進められました(右図参照)。
療術に対して、このような国家的規模の科学的な調査がおこなわれたことは、これまで前例のないことでした。
しかし、実際の療術師の運動は、あくまで請願、陳情、国会議員に対する圧力運動の域を超えるものではありませんでした(下図参照)。
失敗におわたった法制化運動
結局、療術禁止の期限とされた1955年の末、講習と試験を条件に「指圧」について慰安目的の営業があらたに認められることになりました。
しかし、それ以外の業種については、8年間の経過措置の延長は見られたものの、全面禁止の決定が揺らぐことはありませんでした。
このような運動の結末に対して、1956年の全療協の第16回臨時総会では、「国会議員に頼みすぎた」とか「役人にしてやられた」などの不満が爆発し、四分五裂の大混乱におちいったことが報告されています。
実際、療術法制化運動にはさまざまな思惑が交錯していました。全療協の掲げた5分野の一括法制化とは別に、「指圧師法」の制定を求めて示威運動を展開するグループもあったのです(右図参照)。
営業権の確保を目指して、さまざまな立場の療術師の思惑に振り回された療術法制化運動は、そもそも大きな弱点を抱えていたといわざるを得ないでしょう。
療術の将来を見据えた動き
しかし、前向きに冷静な提言をおこなう人がいなかったわけではありません。
1951年に全療協が出版した藤井尚久『手技療法の基本理論と調査研究の感想』(1951 全国療術師会 非売品)はその代表的なものの一つです。
当時、東京医科大学教授だった藤井氏は、厚生省手技療術調査員をつとめていました。
『手技療法の基本理論と調査研究の感想』によると全療協の講師として招かれた藤井氏は、手技療術は「科学性のあるものである。したがって将来性のあるものである」としたうえで、「日本独自の手技療術として発展させてしかるべきもの」として厚生省の報告書に記したことを明言しています。
その上で、法制化運動の現状について、次のように鋭く問題点を指摘しています。
たとえば「現在では、あらゆる技術者に国家検定試験があります。医師、薬剤師、看護婦はもちろんのこと、理髪師にいたるまで、これがなければ法制化しません」とし、法制化を求めるなら「ただがやがや騒いでおっても、受け入れ態勢というものができておらなければ、絶対、これは駄目です。」としています。
その上で、国家試験やそのための教育カリキュラムの基本となる綱領、基本理論、それに立脚した若干の基本技術形式が必要であるとし、「失礼ながら、あなた方の手技療術界には、これがいまだにないのでありまして、いわゆる支離滅裂のようであります」と療術法制化運動の問題点を鋭く指摘しています。
身体均整法と藤井氏の指摘
藤井氏は、調査員としてさまざまな施術を受けてきた経験をふまえて、次のように手技療術の捉え方を提案しています。
「手技療法の主たる目的は、人体の外環境すなわち人体外表に一定の刺激をあたえて、人体の内環境に反応(反射作用を主とする)を及ぼし、生活現象を円滑ならしめようとするものである(これは人によって環境療術ともいう)」
この藤井氏の表現は、前ページで紹介した『日本療術学』(1951)のみならず、1960年にあらわされた亀井先生の『身体均整法入門』にそのままの形で採用されています。
さらに藤井氏は次のようにも述べています。
「身体外表より筋肉骨格などに手指ないし掌をもちいて適当な圧迫ならびに一定の操作を施して、一種の機械的刺激を与えて身体内部の反応を喚起せしめて、身体に本来的自然的な正しい形態と配置関係を保たしめ、整調された機能を、発揮せしむることを眼目とする」(『手技療法の基本理論と調査研究の感想』10p.)
このような藤井氏の表現は、『身体均整法概論』や『運動系の原理』の教科書を通じて身体均整法を学んだ方にはなじみ深いものなはずです。
亀井先生と療術運動
藤井氏の提言と亀井先生の著作の表現の一致は、なにを意味しているのでしょう?
少なくとも亀井先生は、藤井氏の提言を正面から受け止め、科学的な視点から手技療術における綱領、基本理論、それに立脚した若干の基本技術形式を作らなければならないと考えていたことは間違いないように思われます。
そのことは、『日本療術学』(1951)の次のような表現によくあらわれています。
従来の療術が独断を事とした一方的主張であったのに対し、新しく勃興すべき真の療術は、公平なる比較の上に価値を見、能ふ限り独断を避けて事実から法則を発見し、空想を事とする代わりに飽くまで実在を明かにすべきであり、正当なる理性に訴へて納得了解させるものでなければならぬ。それが科学としての療術である。(『日本療術学』17p.)
前回、前々回のリポートで紹介してきた療術運動に対する亀井先生の手厳しい表現は、このような療術に対する見方を反映したものだったのです。
そこには、営業権確保を主眼とした療術法制化運動の限界を感じ、手技療術が持っている可能性をしっかりと見据え、地に足のついた運動をしなければならないという強烈なメッセージがこめられていたのです。
このような亀井先生の活動は、愛媛県療術師会を足場に次第に中・四国地区の療術運動のなかに展開されてゆきました。次回は、その実際の姿にせまってみることにしましょう。
【次へ】
【注】『回顧展』の内容をより詳しくご覧になりたい方は、このhp上で、2002年刊の『亀井師範と身体均整法』(全268ページ、絶版)のPDF版の再配布を予定しております。再配布については改めてトップページに告知いたします。いましばらくお持ちください。