身体均整法を創始した亀井進先生は、父・亀井伊太郎、母・ヒデノの長男として、明治44(1911)年2月10日、愛媛県温泉郡朝美村大字南江戸1026番地に生まれ、昭和50(1975)年11月27日、午前2時37分に永眠されました。享年64歳。
亀井先生は長い間、胃潰瘍に苦しみ、妻は産後の肥立ちが悪く両下肢不随と両眼失明をし、長男は廊下で転倒、右下肢不随になりました。一家の相次ぐ不幸に、延べ16名の医師がかかり、最善を尽くしたものの病気は悪化し、それにかかった多くの借財が残りました。そのような苦しい最中に、仏の教えと藤井療法に出会い、一家の命は救出されました。
昭和22(1947)年、厚生省は療術行為に対し
(1)科学的でない。
(2)種類が多い。
(3)業者の素養が低い。
(4)玉石混淆。
という理由で、厳しく禁止しました。
当時は、敗戦直後で、医療法改正の動きの中、療術はつらい冬の時代を迎えていました。
亀井先生は藤井療法の恩師、高松梅次郎先生に懇願され、この世界に身を投じたのでした。戦時中は、応召されるまで政治運動に携わっていたといいます。その経験が療術の科学化、療術団体の組織化に役立っていると思われます。
亀井先生は、昭和24(1949)年3月に「療術臨床必携」を編集し、昭和26(1949)年3月には、身体均整協会(現・有限責任中間法人身体均整師会)を設立しています。
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